7ec8c0e6.jpg奥田ワールドに触れたエピソード

食べるひとの琴線の奥深いところに語りかける料理を創る天才。山形県鶴岡市のイタリアンレストランアルケッチャーノ奥田シェフ。全国いや世界からわざわざ時間をかけて山形庄内までくる価値があると 多くのひとが小さな店に足を運ぶ。
この感動を買うためには 時間もお金も惜しいとは感じさせない。
なににも代えがたい「心がふるえるような感動」をいただける店なのである。

奥田さんのすごいところ どんなに著名な大物にも1000円代のランチしか食べない
客にも 同じ姿勢で接する。
今やこれだけマスメディアで騒がれても まったく変らない。
テレビ出演などで忙しくなっても
自分の足で畑や山に食材を探しにいく姿勢だってかわらない。
地域の小さな公民館での料理教室にだってきてくれる。


草木の命 水や空気の命まで 吹き込まれた料理を創るひと。
食材選びの天才、そこに楽しさや驚きのエッセンスが加わった見事な味が誕生する。
「彼にしかできない料理」
小手先の技術では 人の心など動かすことはできない。

庄内の素晴らしい食材のよさを 最大限に活かしきる技と感性には
みんな脱帽だ。本が出版されたり 多くの方が奥田さんの素晴らしを語るなか
今さら私が語る必要もないかもしれないが やはり 言わずにいれない。

2001年はじめて奥田さんの料理に出会ったときの感動は忘れられない。

ある日の冬のできごと
2004年の12月関西から山形にきた仕事の同僚が数年滞在した後また
関西にもどるというとき 彼女の山形の食に対するあまりよい印象をもって
いないことを知り このまま関西に帰すわけには行かない!
山形人のプライドが許さない。「奥田さんの料理しかない!」と思った。

私が住む内陸から庄内へ行くには 十六里越えといわれる月山の険しい道を
超えねばならない。冬の月山道は地吹雪をいう雪でまったく前がみえないという
恐ろしい現象がおきる。ホワイトアウト状態になる。
それを承知の上で庄内に車を走らせることを決意。

奥田さんにお願いすると忙しいのにもかかわらず 予算のない私達の意向をきい
て下さるのだ。恐縮してしまうほどである。
「・・こういう事情で山形の食の素晴らしさを彼女に伝えたい」という旨をお話
した。

「帰り道にスキップしたくなるような料理がいいのか。その場でわ〜っと盛り上がる
ような料理がいいのか。感動の仕方も料理によってかわってくるから・・」
!? 思わぬ質問がかえってきた・・・。
奥田さんは そのシチュエーションやその一度しかない時間をより楽しんでもうため
に そこから料理の準備がはじまるのだ。

結果は もう奥田ワールドに完全にはまり込んだメンバー。
職場のランチ時間のように 愚痴などまったくでるはずもない。

私はその日「魔法のような時間」を目の当たりにした。
奥田さんの料理は 舌だけでないどんなに頑なになってしまった心までを
一瞬にして 解きほぐしてしまうのだ。

彼女は山形には あまりいい思い出がなかったようで「たぶんもう山形にくる
ことはないかも・・」と話ていたのだ。私はショックだった。
その彼女が!奥田シェフが用意してくれたこの数時間のランチの時間が 
数年越しの山形に対する思いを変えたのだ。
社交辞令ではない。心から感動してくれていた。
その数日後 彼女は関西へ引越したが その後うれしいメールが届いた。

テレビ情熱大陸に出演
明日9日 情熱大陸に出演する奥田シェフ。
ますますファンが増え 忙しくなってしまうだろうとおもうと
うれしい反面複雑な気持ちもある。「ひとに教えたいけど 教えたくない」
そんな店。

これからも多くの人たちに 「感動と食の素晴らしさを伝えるという
彼でなくては できない仕事」を担うことになるとおもうが
地元のわたしたちにも いつまでも 同じおいしさを味わわせてくださいね。


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